初めての妊娠
私たちは結婚して今年で3年目になるのですが、実は過去に一度妊娠をしたことがあります。
ちょうど結婚2年目を迎えた頃、いつもより一週間生理が遅れることがありました。
普段は予定通りに来ることがほどんどなので、こっそり妊娠検査薬購入して試したところ結果は陽性。
自己流でタイミングを図りながら妊活をしていた中で、初めての妊娠はとても嬉しくて、トイレで一人
泣いたのを今でも覚えています。
その後夫にも報告して、お互いの両親にも即報告(笑)我が家は幸せオーラに包まれていました。
陽性判定が出てから約二週間後に産婦人科に行き、エコーで初めて我が子の姿と心拍を確認。
まだ数ミリの大きさしかない我が子が一生懸命心臓を動かして生きていることを感じ、胸がじんわりと
じんわりとあたたかくなりました。
次の検診では出産予定日もわかり、母子手帳ももらえるということで夫婦で楽しみにしていました。
毎日我が子の存在を愛おしく感じながら、お腹を撫でたり、夫はお腹にキスをしてくれて
本当に毎日が幸せな時間だったのです。
子供の大きさや状態を知らせてくれるアプリを夫婦で入れて、「今日は赤ちゃん何㎝くらいの大きさに
なったね」と話し合うのが日課になっていました。
幸せからの絶望
検診日当日、やっと我が子に会える日がわかるとウキウキしながら病院へ向かった私たち。
ですが、先生の診断は私たちが想像もしていなかったものでした・・・。
いつもよりなんだかエコーを見ている時間が長くて何も話してくれないな、と思っていたら
「ちょっと心拍が確認できないですね。」と。
「もしかしたら稽留流産かもしれません。」
突然のことで頭が真っ白になってしまい、涙を流すまもなく説明を受けました。
稽留流産とはお腹の中で赤ちゃんが亡くなっている状態で、出血や腹痛などの自覚症状がなく
子宮内にとどまってしまっている状態なのだそう。
自然に出てくることもあるが、その場合大量に出血したり赤ちゃんの細胞が排出しきらず残ってしまう
可能性があるので、次の検診までに出てこなければ手術する必要があるとのことでした。
翌週に手術の予約をして、待合室でお会計を待っていると徐々に現実を理解して涙が溢れてきました。
待合室にはお腹の大きな妊婦さんや生まれたての赤ちゃんを連れた人たち・・・。
「どうして私の赤ちゃんだけこんなことになってしまったの?」
「私が感じていたストレスが赤ちゃんにも影響してしまったのかな。」
どうして、どうして、、、。
ただただ悲しくて、夢見ていた我が子との生活が叶わなくなってしまったことに絶望しました。
お会計が終わった後も、車で待機していた夫の元にすぐ行けなくてトイレで号泣。
なんとか泣いたことを悟られないように、車に戻ったのですが夫の顔を見た瞬間
また涙が止まりませんでした。
夫だってきっと悲しいはずなのに一生懸命涙を堪えて私のことを優しく慰めてくれて
その優しさにまた涙が止まらなくて・・・。
その日は家に戻ってからもしばらくは涙が止まりませんでした。
かすかな希望がないか、スマホで検索魔になったけれど出てくる情報は絶望しかありませんでした。
診断は間違いでもしかしたらまだ生きているかもしれない
でも現実をちゃんと受け入れないといけない時がまたくるかもしれない
そんな葛藤の中で毎日を過ごしていました。
家族の時間
診断を受けてから夫もたくさん調べてくれて
診断結果が覆る可能性が低いこと
現実を受け入れる準備をしなければいけないこと
手術までの時間の過ごし方について夫婦で話し合いました。
”悲しい気持ちのままで残りの時間を赤ちゃんと過ごすのはかわいそうだから
楽しい思い出を一緒に過ごして写真に残そう”という結論に至りました。
お互いの実家に行き、みんなで食卓を囲んで話をしながら
赤ちゃんのエコー写真も入れてみんなで記念撮影。
結婚2年目の記念日もお店にエコー写真を持って行き、夫と三人で記念撮影。
あなたが来てくれたおかげで私たちはこんなに幸せな気持ちになれたんだよ
そんな気持ちも込めて手術までの時間を過ごしました。
二度目の絶望
手術予定日の前日、再度検査をして手術の事前準備を行いました。
変わらず、我が子の心臓は動いていなくて・・・二度目の絶望を感じました。
最初に稽留流産の診断を受けてから、手術の前に自然に出てきてしまったらどうしよう・・・。
そんな不安もありましたが、当日までお腹の中にいてくれて一緒にいられたのがうれしかった。
それから淡々と手術の説明が進められて、手術室に案内された後
麻酔をかけられてすぐに私は意識を失いました。
気がつくいた時には手術は終わっていて、朦朧とする意識の中ベットのある部屋に案内されました。
先生や看護師さんの前では涙を堪えて正気を保っていたけれど
もう私のお腹の中に、あの子はいないんだと思った瞬間ベットで号泣。
元気に産んであげられなくてごめんね。
またいつか私たちの元に戻ってきてね。
いろんな思いが溢れ出しました。
稽留流産を経験して
当時は毎日ふとした時に涙が出て、小さい赤ちゃんを見かけるのも辛かったですが
今はだいぶ気持ちの整理もつくようになって、妊娠した友人や同僚にも心からおめでとうと
言えるようになりました。
でも、今でもふと思い出すと涙が出る時があります。
この記事を書いてる時も、当時を思い出して複雑な気持ちになりました。
きっと世の中には私たちと同じ境遇の人や、もっと辛い想いをしている人たちもいると思います。
自分を責めてりすることもあったかもしれません。
私も毎日悲しい気持ちに押しつぶされそうになった時、とある記事に出会って心が救われました。
産科医の鮫島浩二先生の「天国郵便局からの便り」というものです。
椿ちゃんというお子様を亡くし、嘆き悲しむご両親に、先生が個人的にお送りした
「想像上のお手紙」なのだそうです。
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天国を出発する前、神様から
「お父さんたちと一緒にいる時間は短いですよ。それでも行きますか?」
と聞かれた時、本当にショックで、悩みました。
しかし、あなたたちが仲睦まじく結び合っている姿を見て、地上に降りる決心をしました。
たとえ一緒にいる時間は短くてもあなたたちの子供に数えられたかったからです。
そして私の夢はかなえられました。
今私たちは、あなたたち共に過ごした、短いけれども楽しかった日々に思いを馳せ
私に続き、あなたたちの家族になりたいというきょうだいたちにあなたたちのことを
自慢する日々です。
私は親戚のみんなと一緒に元気にしていますので、もうこれ以上悲しまないでください。
そして心から、「私の選びは正しかった」と言わせてください。
私は永遠にあなたたちの子供です。
そのことを私は誇りに思っています。
つばきより
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今回は私の過去についてお話しさせていただきました。
一人でも多くの天使ママ・パパたちにこの言葉が届き救われることを願っています。
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